著者・訳者 |
著者:遠藤 不比人プロフィール
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ジャンル | 文芸/批評 |
出版年月日 | 2025年12月15日 |
ISBN | 978-4-86780-093-5 |
判型 | 四六判上製 |
ページ数 | 256 |
定価 | 本体2700円+税 |
在庫 | 予約受付中 |
情動は、言葉では補足できないが、そこにある!
言語表象の対象にはなりえぬはずの情動は、日常的にあらゆる場面で記号に宿り、ときにそれを歪めながら、異様な相貌で私たちの眼前に出来する。
精神分析や脱構築を駆使して、ジェイムソン、フロイト、ド・マン、ワイルド、ボウエン、ワーズワース、ロレンス、バルト、レオナルド・ダ・ヴィンチ、梶井基次郎などのモダニズム的テクスト群を横断し、名状しがたい無意識=知りえぬ異形に迫る!
著者の異形な記号の物質的過剰(情動)性へのフェティッシュな愛を実感してほしい。
はじめに
異形な記号たちの露出
序章
情動的唯物論
—モダニズムにおける霊的なものの系譜
言葉が捕捉できないがそこに宿るもの、ジェイムソンに立ち戻って
言語化されずに身体と言語に宿る情動、フロイトにおける情動
夢テクストの表層を奇形化する情動
ポスト印象主義における魂=情動の物質化
第一章
現前する無の唯物論
—「ポスト」に抗う文学批評のために
「ポスト批評」なる観念論
無の唯物論
昇華とその不可能性
「もの」の存在論
充溢と空虚の同時性
放棄=断念というド・マン的情動
現前する無
第二章
フロイトにおける情動
—意味論と経済論の齟齬をめぐって
量を質に「翻訳」すること
経済論的「量」の意味論的「質」への翻訳
情動量の翻訳されえぬ残余=過剰
情動と翻訳が帯びる経済論的隠喩
願望充足的隠喩としての情動=貨幣
翻訳可能な情動の価値下落と不安
情動の翻訳不能性の文学的含意
第三章
反近代としてのモダニズム
—オスカー・ワイルドと否定的唯物論
言語のための言語
身体として物質化される文体
芸術における不可視の空隙
否定的唯物論
ワイルドとキュビスト的アバンギャルドの系譜
第四章
不在の戦争の言語的形象
—『日ざかり』における真理の隠蔽/出現
戦争文学という問い
不安という情動
歴史=物語における空隙
閉所恐怖症と広場恐怖症の併存
窪地=空虚=無蓋
題目『日ざかり』について
第五章
顔と表層をめぐる脱修辞学
—ポール・ド・マンの反心理学
ポール・ド・マンの反心理学的脱構築
ワーズワースにおける「顔」の脱構築
心の現象学=実存化
歪曲される顔=フロイトの夢テクスト
第六章
情動、モダニティ、不気味なもの
—D・H・ロレンス、不可知なものの情動的強度
名状しがたいものとの遭遇
無意識=知りえぬものの力
視覚映像の弁証法的否定性としての聴覚(の欠如)
近代的光の中の不気味なもの
アーシュラと顕微鏡
第七章
アウラと情動
—残滓的なものの唯物論
モダニティの中の不可知なもの
視覚中心主義が抑圧/宿す触覚
近いもの(現在)が抑圧する/に回帰する遠いもの(過去)
第八章
ロラン・バルトとレオナルド・ダ・ヴィンチ
—恋愛的情動のメランコリーとその意味論的な零度=死
想像界/クローゼット
鏡像空間での同一化
ふたたびバルトのクローゼットへ
恋愛的、テクスト的ネクロフィリア
ふたたびレオナルド
終章
モダニズム、精神分析、脱構築
—「檸檬」における情動の唯物論的「もの」化をめぐって
フロイトの「自由連想」とは
フェルマンと語ることのスキャンダル
「檸檬」は主題を語り損ねる
空想の裂け目とその不安
根源的否定性
テクストの意味論的空隙の情動的/唯物的表出
註
引用文献
初出一覧
あとがき
索引
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